【九谷焼,の歴史】,伝統,様式,と紋様 ,古九谷,吉田屋,木米,青粒,釉彩,五彩,

伝統 受け継がれた時代様式と紋様

古九谷 (こくたに)

明暦元年 1655年~
大聖寺藩初代藩主前田利治公が命じ、九谷村で焼かれたもので、青(緑)、黄、赤、紫、
紺青の五彩を用い、絵画的に豊かに表現された様式。狩野派の影響を受け、伸びやかで自由な絵でかかれ、大胆な意匠と絢爛たる色使いが特徴。


木米 (もくべい)


文化4年 1807年~
古九谷廃窯約100年後に、加賀藩営で金沢に春日山窯が開窯。京都より招かれた文人画家青木木米の指導で、全画に赤を施し、五彩で中国風の人物などを描写した様式。


吉田屋 (よしだや)

文政7年 1824年~

藩商吉田屋伝右衛門が再興九谷を目的とした窯で、青手古九谷の塗理様式を踏襲した様式。青(緑)、黄、紫、紺青の四彩を用いて、様々な紋様や小紋を駆使し、全面を塗り埋めた重厚感のある作風が特徴。


飯田屋 (いいだや)


天保2年 1831年~
吉田屋窯を引き継いだ宮本屋窯で焼かれた様式。赤で綿密に人物を書き、まわりを小紋で埋め尽くし、金彩を加えた赤絵細密画で、主工飯田屋八郎右衛門から八郎手とも呼ばれている。.


庄三 (しょうざ)


天保12年 1841年~
古九谷、吉田屋、飯田屋、金襴手の全ての手法を融合し、名工九谷庄三が確立した彩色金襴手の様式。明治以降は『ジャパンクタニ』として産業九谷の主流となった作風。


永楽 (えいらく)


慶応元年 1865年~
加賀藩分家の大聖寺藩が開いた九谷本窯で焼かれた様式。京都の名工永楽和全による金襴手手法で、全面を赤で下塗りし、その上に金のみで彩色した豪華で洗練された作風。


技法 生み出された多種多様な技法

銀彩 (ぎんさい)


代表作家 中田一於
銀箔を貼り付けた上に透明釉や五彩の釉彩を塗り、焼き上げた技法。銀箔が剥がれないうえ、錆びないという特性をもっている。釉裏金彩と同じように、絵の調子がやわらかく、抑えた質感で上品さが漂う。


釉裏金彩 (ゆうりきんさい)


代表作家 人間国宝 吉田美統
普通の金彩が釉薬の上に金を貼り付けるのに対して、金粉や多彩形にカットした金箔を貼り、その上に透明な釉薬をかけ


釉彩 (ゆうさい)


代表作家 人間国宝 徳田八十吉
赤、緑、黄、紫、紺青の五彩の釉薬をうわぐすりのように用い、器全体を塗り埋める手法。二種類以上の釉薬を重ねて塗ることにより、段階的に色彩の変化を楽しむことができ、優美で鮮やかな絵柄が描きだされる。


青粒 (あおちぶ)


代表作家 仲田錦玉
大正時代に広まった彩色の技法。地色の上に、青粒と称する細かい緑色の点の盛上げを並べ鮫皮のような手法。粒の大きさ、色、間隔の均一さで緻密な技術が要求される。青粒のほかに白粒、金粒もある。落ち着いた重厚感と品のよさが備わっている。